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熊本とは?/ アイフル

[ 177] 熊本県 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E6%9C%AC%E7%9C%8C

熊本県(くまもとけん)は、九州地方の中央に位置する都道府県のひとつ。人口約184万人、面積約7,400km2 有明海、不知火海、東シナ海に面している。全国有数の農業県であり、また車エビなどの養殖業が盛ん。世界最大級のカルデラを持つ阿蘇山が知られる。方言は熊本弁が話される。
九州本島の中央部に位置し、福岡、大分、宮崎、鹿児島の各県と境を接する。海上で有明海を隔てて長崎県とも接する。東部に世界最大級のカルデラを持つ阿蘇山や九州山地の山々がそびえ、西部は熊本平野が有明海に、八代平野及び葦北地方のリアス式海岸が不知火海に面する。その間に宇土半島がつきだし天草諸島に続いている。
気候は太平洋側気候で温暖だが、冬と夏で寒暑の差が激しい。冬は阿蘇地方の九州山地や阿蘇山では毎年多量の積雪となり、最低気温も氷点下まで下がることが多く、真冬日にもなりやすい。寒気が流れ込むと山頂では稀に-20℃近くまで下がり、厳しい寒さとなる。 夏では熊本市周辺が35℃以上の猛暑でも、30℃以下の気温が続き冷涼な気候である。阿蘇山では最高気温が30℃を超えることがまったく無い。降水量も多く年間を通して2000mm以上である。
一方、熊本市周辺で夏場では気温が35℃を越す猛暑になることも少なくない。冬では最低気温が氷点下まで下がることもあるが、降雪・積雪は山地や内陸とは少ない。
金峰山県立自然公園、小岱山県立自然公園、三角大矢野海辺県立自然公園、芦北海岸県立自然公園、矢部周辺県立自然公園、五木五家荘県立自然公園、奥球磨県立自然公園
豊臣秀吉により肥後に封ぜられた加藤清正が「熊本」という文字を使ったと謂われ、それ以前は「隈本(隅本とも)」と書いた。
「隈」の字が畏(おそれる、かしこまる)の字を含む(あるいは「隅」の字が「すみっこ、端、奥、目立たないところ」などの意味を持つ)ために、武将の居城の名に相応しくないということで、猛々しい「熊」の字を充てたといわれている。
熊本県の領域はかつての肥後国のそれとほぼ重なるが、肥後国は古代においては、「火の国」または「肥の国」と呼ばれていた。これは八代郡ひ郷(肥伊郷)=現在の八代郡氷川流域に古代の多氏の流れを汲む「火君(ひのきみ)」と呼ばれる有力豪族がおり、地域の中心であったことに由来するとされている。肥の国はやがて、現在の佐賀県・長崎県の地域をも含むようになるが、7世紀終わりごろに肥前国と肥後国に分けられた。
肥後国は生産力が高い豊かな土地で、地理的にも重要と判断されたため、律令体制下では大国のひとつとされた。
中世には、阿蘇神社の神威を利用して勢力を拡大した多氏後裔の阿蘇氏、遠江国から地頭として下り球磨郡に土着した相良氏、大宰府の府官であった菊池氏といった豪族が勢力を伸ばした。南北朝時代は、後醍醐天皇の皇子懐良親王を擁する菊池氏が九州の南朝の中心として活躍した。さらに、南朝方の名和長年の子孫である名和氏も領地がある八代に移った。戦国時代に至って、相良氏は名和氏を追い肥後国南部を支配するが、北部では菊池氏や阿蘇氏の家中はしばしば乱れ、豊後守護の大友氏の介入を招くなどしたため、有力な戦国大名が現れず、国人が割拠する状態が続いた。
豊臣秀吉の九州征伐により佐々成政が肥後の国主を命じられるが、太閤検地に反対する国人たちによる一揆が起こった。秀吉は成政にその責任を負わせて切腹を命じる一方、一揆に参加した国人たちを徹底的に弾圧し、その勢力は一掃された。その後、秀吉は北半分を加藤清正、南半分を小西行長に分け与え、球磨郡においては相良氏の支配を認めた。
小西行長が関ヶ原の戦いで敗れ滅亡すると、加藤清正がその領地を併せ52万石の領主となった。清正は名城熊本城を築き、また河川・水路を改修して耕地を広げ生産力の向上に努めたため治水の名人として崇められた。しかし清正の死後、息子忠広の代に改易され、代わって細川氏が54万石の領主となった。(熊本藩)支藩として宇土藩、熊本新田藩がある。また、家老の松井家は八代城の城代として、3万石を与えられており、事実上の八代支藩の藩主であった。他に肥後国内には、相良氏が治める人吉藩があった。
天草は長崎に近く、また、キリシタン大名であった小西行長の領地になったこともあり、キリシタンの数が多かった。関ヶ原の合戦後、唐津藩12万石の領主である寺沢広高の領地となるが、寺沢はキリシタンを弾圧し、また過酷な徴税をおこなったことから、1637年(寛永14)島原の乱が起こると、住民の半分がこれに参加し、全滅した。乱後、天草は天領となり、初代代官の鈴木重成の尽力によって天草は次第に復興していった。
主に戦前までは熊本が九州の中心とみなされ、熊本鎮台・第五高等学校などが設置されたが、戦後の経済発展に伴い、その役割は次第に福岡県へと移っていった。
第五高等学校教師として夏目漱石・小泉八雲が熊本市に住んでいたことがあり、森鴎外も第12師団軍医部長として熊本市に赴任したこともある。熊本での体験が彼らの文学に大きな影響を与えている。
日本有数の農業県。農業産出額(2001年)は全国5位。トマト・すいか・甘夏みかんが全国1位。畳の表層材である畳表や御座(ゴザ)に用いるい草生産も1位だが、熊本県以外でい草の生産はほとんど行われていない。
近代以後、製造業でめぼしいものが展開せず、第一次産業、第三次産業のウェイトが高かったが、現在ハイテク産業や輸送機械の企業誘致を積極的におこなっている。最近では太陽電池関連産業の振興にも力を入れている。
天草郡 大矢野町・松島町・有明町・姫戸町・龍ヶ岳町・御所浦町・倉岳町・栖本町・新和町・五和町・天草町・河浦町
県北(荒尾市や玉名市の一部、宇土半島の一部)では福岡民放(RKB毎日放送・テレビ西日本・福岡放送・九州朝日放送・TVQ九州放送)を見ることが出来る。ただし、玉名市あたりでは小岱山が障害となり視聴しにくいため、UHFアンテナを大牟田(甘木山)、久留米(九千部山)に向けている家庭は少ない。
県央(熊本市宇土市など)では長崎民放(長崎放送・テレビ長崎・長崎国際テレビ・長崎文化放送)を見ることが出来る。また一部ではサガテレビや宮崎放送・テレビ宮崎を見られる地域もある。(ただし、宮崎民放は山の上など高いところにある家のみ)
県南(水俣市など)では鹿児島民放(南日本放送・鹿児島テレビ・鹿児島読売テレビ・鹿児島放送)を見ることが出来る。
大分以外のラジオ局(エフエム福岡・エフエム九州・九州国際エフエム・エフエム佐賀・エフエム長崎・エフエム宮崎・エフエム鹿児島)は聴くことが出来る。ただし福岡、佐賀は熊本市以北(九州国際エフエムに関しては出力が高い為この限りではなく、他局よりも聴取が容易)。長崎は宇土や天草でも聴くことができる。鹿児島は阿久根局が100wと高出力のため県北でも聴ける。宮崎は高千穂に近い山都町などで聴くことができる。
RKBラジオ・KBCラジオ・NBCラジオ佐賀・長崎放送・南日本放送を聴くことができる。また、FMと同様宮崎放送は山都町等で聴くことができる。阿蘇では大分放送・南海放送を聴くことができる代わりに、2局の周波数に挟まれる形となる南日本放送は混信で聴取が困難。なお、NHK山口放送局も容易に受信できるが山口放送はNHK熊本放送局による混信で聴取が困難。

 

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